これ僕です。
ブレザーに半ズボンの、高テクトラッドスタイルは、1990年代後半に、僕から始まったと言われています。
あれ?違いましたか。
とにかく美容師を呼んでもらって、彼の髪を切ってもらいたいですね。
にしても、顔面はうまい具合に謎成長してもらって良かった。
ブログ、空いちゃいましたね。
やはり定期投稿は難しい。頑張ります。
話題の前田違い、SHOWROOMの前田裕二さんが、「投稿してないSNSは息をしていないのと同じ」的なことをおっしゃってました。確か。頑張ります。
こんな記事がありました。
大部分がすこぶる的を得ているなと僕は思ったのですが。
僕がネットだとか匿名性だとかについて違和感を感じることは、4つです。
①責任の欠如。
②誰でも他人を攻撃できる。
③誰でも他人の味方になれる。①の味方にも。
④数が多いからか、なぜか「世間の意見」になる。
まず、ネットの特徴として、皆同じステージで発言できるってのが前提にあります。
今は親指一つでホリエモンや松本人志に意見を言える。
発信する方は、直接会って物言いをするよりもエネルギーを使わないんですよね。
もちろん、ファンの人が有名人にリプライをするのはそれなりの熱量があるだろうけど。
それはあくまで「いい使い方」に過ぎない。
逆に、無視にもこれが言えると思います。
直接会っているときに無視をするよりも、既読無視の方がエネルギーを使わない。
発言をしやすくなったりすると、その発言への責任が。
無視をしやすくなると、当事者としての責任が。
薄れますよね。
①②③④について細かくは書きませんが、僕が一番ヤバいなって思うのが、④です。
ワイドショーとか見てても、
やれ誰々が不倫した(事実)→世間では?→ネット民叩く叩く→どっかが忖度→CM降板→干される
めちゃ現代っぽいよくある流れですが。
世間では?→ネットの意見
この流れ。
いや意見言ってる人たち、全部とは言わないが、大体が匿名でリアル社会での自分をかくまって反撃無用にして様子見してる人たちでしょ。
ニュースにたいして、有名人が実名アカウントで意見を言うと、ここにも無責任に攻撃してきたりする人たち。一定の味方、援護射撃はあるけどね。援護ですらステルスだ。
ネットの意見に踊らされ過ぎて、ネット=世間になって。
ネット=世間から、そこに踊らされるようになったのかはどっちが先かは知らんけど。
モラルをネットや一部の意見に合わせていくのはどうなんだろう。
意見を挙げた人やその意見にルールを合わせていかないといけないってのはどうなんだろう。
色んな正義がある。
皆世の中をよくしたがっているんだけど、正義感が暴徒化するのは良くないな、
って思いますね。
曲げない確固たる自分の正義、美学を持ちたいものです。
こんな記事を、書く人が書いたらまた燃えるだろうね。
捉え方は様々。
前田 駿
1993年5月16日生 25歳/富山県生→埼玉県育ち
埼玉県立坂戸高校→私立武蔵大学
2016.3 某食品卸売商社→2016.8 (株)SoftBank
→2018.9 外資系金融機関
前田LIFE
世を巻き込み、喜ばせ、死んでいきたいです。 Now or Never.
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